ブログを始める理由を整理してみる

突然だが、ブログをつけてみることにする。noteはやっていたのだが人に見られることを前提に書いていたから数本で挫折した。そうじゃなくて、自分の思考整理のためにブログをつけたいと思ったため、はてブを作ってみた。正確にははてブはIT界隈の情報収集に従来より使用していたわけだが…はてなIDが身バレ確実の文字列だったため数百件のブクマを捨てて作り直した。それくらいには現在仕事への意識も低く、情報収集なんかど〜でもよく、このモヤモヤや気持ち悪さを吐き出すためのブログを開設するのが優先だった。

 

ブログを始める理由、どこから書けばいいのか正直分からないほど沢山。そして今は日曜の22時。正直明日の会議資料もやばい、仕事の事で鬱がやばい、早くさっき池袋で買ってきた同人誌が読みたい…わけだが、ここ数ヶ月ブログを書かなければと思っては文章を書く面倒臭さと誘惑に敗れては、脳死作業に逃げ、先延ばしにしてきた結果、喉元までモヤモヤが常に詰まっている状況でこれは一旦吐き出したほうがいいと思った次第である。

 

ちなみにこの「である調」文体は誰も見ていない毒だけを吐き出すX垢でも常にこれなので、私はもうこのキモい文体で自分語りすることしかできないのはもう、サガとして、取り繕うのはやめて受け入れることとします…文体ブレブレだけどごめんね。

 

ちなみにこのブログ開設と同時にnoteは消したので、記事移行しようかと思ったが、まじで大した記事なくて全部消した。

 


そんなわけで以下より、理由の話です。クソ長い冗長文なので覚悟ください。

 

フルリモートとコロナと30代突入と

ブログを始めてみようなんて心変わりに一番影響を与えたのは、この理由だと思う。実はこの4年間の中で心身共に人生で一番のダウンタイムを経験した。個人的に見出しにある3つが理由だと思っている(思いたい)が、何があったか具体的に羅列すると以下。

  1. フルリモートが合わない
  2. コロナに対する危機意識・価値観への相違
  3. 極度の冷え性が発症して治らない
  4. 心療内科の薬で死にかける
  5. 半年で10kg落ち衰弱する
  6. 仕事の人間関係で問題が連発する
  7. 趣味の人間関係に疲弊する
  8. 自分が信じていたものが信じられなくなる

粒度ばらばらに挙げるとこんな感じ。1つずつ具体的に補足すると、

 

1.フルリモートが合わない

今現在もフルリモートで3年くらいが経過しましたが、コミュ力が必須のディレクターという職種柄、毎日毎日タスク以外に会議で画面を凝視し(ビデオオン必須)、リアクションが少ないメンバーの顔色を画面越しに伺い、初対面のクライアントの信頼関係を得るためにたまに対面で会ったりフレキシブルに対応し、「対面がいいとか言ってるヤツは仕事ができねぇ」みたいなIT界隈(自社)の風潮に晒されながらやっています。3年やってきたが、一生慣れる気がしません。もちろんリモートで効率化された仕事も沢山あって、リモート自体は否定しないけど、メンバーが地方在住だったり会社に十分な席も無く、フルリモート前提の職場になってしまったため、自分としてはいろんなことがスムーズに行かなくなった気がする。これは、甘えもあるけど、対面なら言語化・テキスト化しなくても伝わっていた雰囲気(今私は忙しい、席にいません、雑談したいです)みたいな状態が見えなくなって、何をやっているか分からないという相手にも自分にも不信感を覚える事が多くなったし、どういうテンションで接していいかというのが分からなくなったため、余計な事に気を遣う事が多くなった。特に、チームを管理する立場でもあるため、そういった全体の雰囲気が見えないのが不安で仕方ない。毎日朝会をやるなど改善はしているが…

と語り過ぎたので、フルリモートで実践してきたことの反省やモヤモヤは別途書きたいかなと思うのでこの辺で。

ちょっともう限界なので、仕事の仕方とは来年ちゃんと向き合う。

 

2.コロナに対する危機意識・価値観への相違

これは、これだけが理由ではないが、コロナに対する考え方を始め、センシティブな話題と相手のスタンスを探るという事にぶち当たる事が多くなって、大変に疲弊した。同時期に沼っていたオタ活で新しい交流も多かったのと、また私のTLには少なからず医療関係者のオタクも多かったため、コロナへの考え方の温度差に風邪ひきそうな呟きなどが日々流れていた。コロナだけが原因ではないが、人との交流に気遣う事が多くなり、人がどう思うか、自分がどう見られるかを意識しすぎるようになってしまった。


3.極度の冷え性が発症して治らない

これは完全に歳のせいだと思いたい…が、2021年の冬頃から明確に体調が変化して戻らないのである。特に変化したのは冷え性と生理不順。生理不順はずっとあり、低用量ピルをかれこれ6年は服用しているのが、安定して飲んでいたものが突然合わなくなり、不正出血とPMSが発症し産婦人科を転々とした。漢方薬局にも頼った。それと同時期くらいに極度の冷え性が発症し、頭を悩ませている。生理不順については漢方も併用し現在安定して飲めるピルが定まってきたが、冷え性は基本年中、冬場になると誰よりも厚着で室内でも手先足先がかじかんでしまうくらい酷い状態が続いている。

 

4.心療内科の薬で死にかける
5.半年で10kg落ち衰弱する

死にかけるは誇張だが、人生初、心療内科通いになってしまった。現在も病院を変えて1年半以上は通っているが、最初の病院選びが自分の精神状態に照らし合わせても間違っていたがゆえに、薬が合わなくて嘔吐下痢を繰り返し、胃炎が癖になり半年で10kg落ち、何をやるにも体力が出ず、実は仕事を1ヶ月休職したりもした。今は6kg戻り、胃腸も元気で、毎日飲まなくてもいい睡眠薬抗うつ剤が出ているくらいだが、飲まないと不安ではある。

原因はなんだったかというと、ここに挙げた8つの理由が全部重なった、という感じだろうか。自分はメンタル強い方で楽観的だと思っていたのにびっくりした。ある日を境に、仕事の重い会議で息苦しく動機が激しくなるようになり、考え事しては不眠症になって、夕方まで仕事が持たない、デスクで寝落ちて何度も会議を無断で欠席してしまうようになり、思い詰めて気が乗らない会議は出ないようになり、このままじゃマズいと思って近所の心療内科に駆け込んだのだ。そこは投薬メインで診察は1分以内に終わるような流れ作業、予約を1週間ごとに入れられて、惰性で通って気づいたら1日10種類20錠くらいの薬を飲むようになっていた。この頃は、本当に薬で生かされていたと言っても過言ではない。責任感だけは人の100倍あるので仕事は続けながら通っていたために、ストレスの根本原因を改善しないまま薬で自我を保つ、といった生活だった。少し冷静に自分のことを考えられる時間ができたときに、元々ずっと精神科通いのオタクの友人達に聞いて、処方されている薬の量や強さなどの情報から、自分があまりにもヤバい状態であることを自覚し、自己判断で投薬をやめて病院を変えるに至った。薬抜きの離脱症状本当に辛かった。1年経った今もシャンビリは残っていて、急にやめたのはマズかったなぁという量を処方されていたのだが、今は断然良い状態なので考えないようにしている。

 

6.仕事の人間関係で問題が連発する
7.趣味の人間関係に疲弊する

これも語り始めたらキリがない話題なのでダイジェストにするが、仕事で今までにないくらい人と対立することが増え、逆に今まであまりにも甘やかされた環境にいたんだなぁという気持ちと自分の役職に対するスキルの低さすべての自信を無くしている(現在進行系)。仕事に対しては責任感の塊ではあるが、好きで情熱を持ってやっているわけではないので、その筋の人と対立しがちということがわかった。またその筋の人間が多い業界と会社である、私が入った時よりそういった熱意のある人が増えてきている印象があり会社としてはいいのかもしれないが、そういった人間を束ねる仕事は、私には合っていないとつくづく思わされるのであった。さらに、対立する人間は頭の回転が早く弁が立つ人間が多い。私は私の主張を言語化できぬまま言い負かされてしまう事があり、そういった事もあって、このブログで常に思考整理と言語化の練習をしたいとも思っている。

また、趣味の人間関係はまた別のモヤモヤであり、同じものが好き同士必ず理解し合えるわけがない事や他人の承認欲求の糧にされたり、自分の承認欲求が思ったよりも合ったことや腹黒い自分が見えたりして写し鏡のように嫌になってしまった。今まで趣味で縁切りするほどの人間関係トラブルほぼ無かったのも奇跡だが、そういうのが続き、人間不信というか、新しい交流にとても億劫になってしまった。が、新しいジャンルにハマればそりゃ新しい交流をしたいわけで、それを欲する気持ちがまだある限り(あるんだなそれが)場数を踏んで慣れるしかないと今は思っているが、当時は色々重なり過ぎて本当に辛かった。

 

8.自分が信じていたものが信じられなくなる

これはこのコロナ下、フルリモートになり、職場も5年目で、生活に余裕が出てきて好きなことに時間を割けるようになって、すごく思わされた。

わたしは本当にこれをわたしがやりたくて好きでやっているのだろうか

という不安である。この4年間で、オタ活以外にもヴィーガンコミュニティに入ったり仕事の人脈作りなどなど、沢山の事にチャレンジしてきた。ただ、どれも、続かない。突然パッと飽きたり、人間関係が面倒臭くなって抜けたり、人に利用されている気配を感じて嫌になったり、といった具合だ。

自分は良くも悪くも昔から流されやすく、多趣味で、広く浅い人間だった。大学時代、私とは正反対で意思表示がハッキリしている友人から「意志がないよね」と言われた事があった。その場でキレたし今でも覚えているくらいムカつくワードではあるが、そういうのをハッキリ言ってくれるからこそ今でも友人だし何より魅力的で憧れている。恐らく、そういう人を前にすると追従する自分がいて、強い人の陰でその恩恵をあやかっていたい人間なんだと思う。そう思うと今まで自分が見つけて好きでやってきたと思っていたことが全部、そういった人の影響を受けいつの間にか抜けづらいコミュニティに足を突っ込み惰性でやっているのではないかという気持ちになってしまったのだ。また、オタク趣味の場合は承認欲求が絡んできて、他人からの評価がないとやらないんだったらそれは純粋な<好き>ではないし、自分の承認欲求を満たすために二次創作するために、利用するために、版権作品を好きだと勘違いしていないか?と思うことが多くなった。

少なからず、多趣味でオタクであることがアイデンティティであったが、どれも自信を持って言えなくなってしまったのだ。

 

愚痴と我慢とキレ易いこと

冒頭で述べた通り「誰も見ていない毒だけを吐き出すX垢」があり、2年近く運用してきた。だが、結局のところ、自分の素を知ってもらいたい人には見てもらいたいわけで、私がさいきん何を強く思って、何をしているか、が、流れていくXよりブログのほうがダイジェストに分かりやすくまとめられるとも思い、これが生存確認代わりにもなるので、知り合いにも見られていい前提でこのブログを始めようと思ったのだ。

また、Xではあまりにも気軽に呟けるがゆえ、衝動に駆られた愚痴や、雑な引RTなどができてしまい、自分にとってとても不健全な場所になってしまった。もちろん、炎上ネタに外野の癖にクソリプを飛ばす誹謗中傷垢みたいなことは一切していないが、壁打ちしかしていないわけだが、自分で見返してもあまりにも自分の闇を煮詰めたような呟きが並び、なんだかもう辛い気持ちになってしまったのである。ネガティブ思考に囲まれると自分もネガティブになったり、愚痴ばかり言う人に囲まれて愚痴ばかり言うようになる、という人間を反面教師のように見てきているので、自分でその環境を作り出しているのは不健全すぎると思ったわけだ。

結局、愚痴を言っても解決にはならず、なぜ自分がその時怒りを感じたのか?モヤったのか?どうすれば良かったのか?というところまで向き合って落とし込まないと、永遠のループに沼ってしまうわけで、このブログでそのX垢のように都度愚痴を書くつもりはなく「長期に渡って取り巻くモヤモヤや怒りについて、自分がなぜそう感じているのか」を、文字数制限なく定期的にまとめる場として作った。

また、最近、あまりにもキレることが多く、正直、しんどい…。キレやすい人と仕事をしていることもあるが、感情的に自分の意見を押し込もうとしてしまうんだよね。仕事で調整事や根回し、社内政治を意識することも多い立場になってきて、人の愚痴を聞く立場にもなり、基本我慢している自分の感情がたまに爆発する。もちろん怒鳴ったりはしませんけど、明らかに不機嫌みたいなのが態度と顔に出てしまい、自分でもマズいと思ってきているため、アンガーマネジメントを少し学んだりもしている。やはりその中で、怒りは小出しにするほうがいいなどは再三書いてあるわけで、とはいえ誰も見ていない垢で小出しに愚痴ったところでな〜んも変わらなかったがゆえに、ブログというかたちを取ってみることにした。

自分が怒りを感じたりモヤモヤする事柄は決してどうでもいいことではなく、向き合うべきことであると思ってはいるので、社会のニュースに対しても含め、落ち着いて言語化して思考整理できる場所としてこのブログを試運用してみることにした。

 

SNSや垢分けによる人格不整合

字面は怖いが病気ではなく、つまり、オタ活で多方面に配慮しSNSやX垢分け運用をしてきたことで、それぞれで作り上げてしまった自分の人格と人間関係と…の間で人格乖離を起こしているのだ。アホ過ぎる。

結局どのSNSでも垢でも「他人の目を気にして発言する」ようになってしまい、本音が言えないから、仮面を被った私で人と交流しても虚しいだけだし、もはや壁打ちに徹している始末である。最近は。

元々垢分けはしていたが、このセンシティブになってしまった4年間で更に細かく分けてしまい、もう私の素の人格はどこにあるのやら。とはいえ今ある人間関係を捨てることも自分を晒すこともできず垢を統合する決心ができないのと、イーロン・マスクによりXの行く末が不安だしThreadsには人がいないしタイッツーは閉鎖的だしインスタはキラキラ過ぎだし…私のすべての人格と趣味も赤裸々に晒すのは、自我を出すのは、はてブに統合しようと思ったのだ。そんでもって各垢からリンクだけしておく。私の素性にまで興味がある人間なら見てくれるだろうし、見たくない人は見なくていい、だって私だって趣味だけで繋がってる人の内面まで見る余裕ないもん。見なくても友達というグラデーションはあってもいいと思ってる。結局はみんな<自分>が大事なわけなので、人間関係1か100の人と私は合わないし、依存されるのもするのも嫌。そういう意味で、趣味の、趣味の側面だけで繋がる人間関係は悪いとは思わないし気楽。ただ、それを足掛かりに、ジャンル移動しても繋がっていたい、もっと踏み込みたい、と思える相手が出てくることはしばしばあって、踏み込んで得た大事な友だちがいることが一番の人生の幸せなので…結局、何をやるにも、そういった人を得られる事が一番の目的なんだろうなぁとつくづく思うのである。趣味で作品発表したりしてるわけだが、ファンが欲しいわけではない、一方通行で満足できるほど私はアーティスト気質で自分好きなわけではない。結局交流があって、厳選して、一緒にいて楽しい人間と出会えることを味わってしまったからやめられないんだと思う。

…と、趣味の目的論を語りすぎてしまったが、そういう「交流の末に最終的に晒す私の情報の置き場」としての役割も、このブログに持たせたいと思っている。その上で、自分もたまに迷う「どれが「本当の私」でどれが「仮面を被った私」なのか?」といった趣味ごとに使い分けている自分を自分がちゃんと自覚的に把握するためにこのブログで整理したい。

ちなみに「見せたい自分」なんてのは皆あるもので、それがなきゃ成長はできないし成りたい自分があるからこそ努力し前向きに生きられると思うんで…ここで言いたいのは、それを把握できてないのがマズいと思っているっていうこと。把握できていないと自分を過信する人もいるよね。この趣味界隈にめっちゃいますがなー。

成長って言葉好きじゃないけど、なんで好きじゃないかは言語化できない…

 

以上、大きく3つの理由でしたが、7000字も書いていてウケている。誰がこんなのを読むんだ。私の思考整理のためです。こんな調子で日々思ったこと感じたこと、不感症になる前に、ちゃんと言語化していきたい。